HILSの課題とトレンド(1)
前回の記事では、HILSのメリットだけを強調しました。実際、HILSそのものは確かに有用なものです。しかしそれは、「HILS構築にかかるコスト」を無視した場合の話です。
現実には、HILS用のシステムを購入し、さらにそこからモデル開発をする必要があり、それなりの時間とコストが掛ってしまいます。HILSを構築する事が、必ずしも正解とは言えないわけです。
そこで今回は、HILS構築のコストとメリットの兼ね合いについてご説明します。
HILSの構成要素
HILSは、大きく分けて3つの要素で構成されています。(実際は、こんなに単純ではありません。詳しい構成については、いずれ記事にする予定です。)
- 各種I/O
- リアルタイム性能
- Simulinkモデル
各種I/Oとは、デジタル入出力、アナログ入出力、シリアル通信、CAN/LIN/FlexRay通信など、HILSとECUとのインターフェースに相当する部分です。この部分は特に難しいものではありません。メジャーメントの世界では散々使われている部分で、枯れた技術と言っても良いでしょう。
リアルタイム性能とは、モデルをリアルタイムに動かす技術です。「モデルをリアルタイムに動かす事の意味」については、いずれ記事にしたいと思います。ここでは、1秒のシミュレーションを、(1ミリ秒のズレも無く)きっかり1秒で行う事、としておきます。この部分についても、もはや枯れた技術と呼んで差し支えありません。
「各種I/O」や「リアルタイム性能」は、ある程度枯れた技術という事もあり、HILS構築の難しさの主要因ではありません。(もちろん、最先端の話になってくると必ずしも簡単ではありません。性能を追求していくなかで、いろいろと面白いトピックが生まれています。それらのトピックについては、また後日ご説明したいと思います。)
問題は、「Simulinkモデル」の部分です。このモデルを作るのが何と言っても一番大変です。なお、このSimulinkモデルでは制御対象のハードウェアを模擬します。模擬されるハードウェアは、ECUの制御対象です。制御対象であるという事から、このSimulinkモデルを「プラントモデル」と呼びます。このプラントモデルを作るのが大変なわけです。
さて、ここから先は、あくまで個人的な洞察にすぎません。きっと、違う人に聞けば、違う答えが返ってくると思います。ですから、こんな事を考えている人もいるのか、というレベルで読んで下さい。
プラントモデルは、いい加減に作る事も出来れば、実機とまったくズレが無いように作る事もできます。実機に近ければ近いほど「正確である」と言えます。では、正確なモデルが簡単に作れるのかというと、決してそんなことはありません。正確さを追求すればするほど、プラントモデル作成の工数は膨らんでいきます。
一方、プラントモデルが正確であればあるほど、HILSによって受けられるメリットも増えて行きます。
工数とメリットの関係は、上図のようになっているのではないか?と個人的に考えています。中途半端な正確さでモデルを作ろうとすると、「工数」>「メリット」となってしまいます。それくらいであれば、さっさと実機を作り、ECUをつなげて試験を行った方が早いでしょう。実際に、「モデルを作っている間にハードが出来上がってしまう!」という話をよく耳にします。
HILS構築に工数がかかる、というのは大きな障害です。しかし、ECUの品質向上のためにも、なんとかHILSのおいしいとこ取りができないものでしょうか。そう考えた時に、「高性能HILS」と「低価格HILS」に分かれるのではないかと思います。
高性能HILS
たとえば、車両全体をシミュレートするHILSのような、相当気合の入ったHILSの事を「高性能HILS」と呼ぶ事にします。実機か、高性能HILSでないと発見できないような不具合を見つけるためのシステムです。この場合の主目的は、工数削減ではなく、品質向上になります。
(正直、この分野に関する経験はほとんどなく、あまり詳しい事は分かりません。某社が、車両全体のシミュレータをものすごい値段で受注したというウワサを聞いて、なんてうらやましいんだ!と思った記憶があるくらいです。)
車両メーカーさんは、開発のためにひたすら実機データを取っています。ですから、このデータに矛盾しないようなモデルを作る作業は、本当に本当に大変な作業になります。それなりのリソースを投入しないとどうにもなりません。
しかし、そのような高精度なモデルがあれば、本来実機でしか見つからないような不具合をHILSで見つける事が可能になるでしょう。しかも、実機で見つけるよりもはるかに安全で素早く。このように、高精度な車両ダイナミクスを再現したり、エンジンやトランス、FCなどの挙動を完璧に再現したりする物は、対象が複雑であればあるほど、有用なものになると思います。ここまでやるのであれば、それなりの工数を投入しても十分見返りが得られると思います。
また、単に高精度なモデルという事では無く、車載ネットワークの動作を模擬するようなシミュレータも有用でしょう。車載ECUは、かなりの数があります。それらがネットワーク上に存在しているために、車載ネットワークのトラフィックは大変な事になっています。そういった振る舞いを模擬するようなシステムを作れるのであれば、それもそれで有用ではないかと思われます。
こういった高性能HILSは、きっとそれに見合うだけの成果を上げられるのではないかと思うのですが、正直詳しいところは良く分かりません。
低価格HILS
高性能HILSは、とにかくモデルを良いものにして、HILSのメリットを高めよう、というものでした。
その対極として、とにかくモデルを簡略なものにしよう、という流れがあります。モデルが簡略なものになれば、作成工数が下がります。工数が下がれば、「工数」<「メリット」となります。これが、最近よく耳にする低価格HILSです。この低価格化が1つのトレンドになっているように思います。
この低価格HILSは、実機を正確にシミュレートする物ではありません。むしろ、単なるデバッガーに近いものです。厳密に実機に似せる必要はありません。だいたいそれっぽく動けば、テストケースを走らせるには十分なのです。
ソフトウェアの不具合にも色々あります。実機で動かさないと見つからないような不具合ももちろんあるでしょう。しかし、かなりの数の不具合は、もっと簡単に見つかるようなものです。そうであれば、単純なHILSでも結構役に立つはずです。すぐ見つかるような不具合を低価格HILSで取ってしまえれば、実機試験にながれる不具合が減らせるはずです。場合によっては不具合0という事もあるでしょう。
その場合、プラントモデルは毎回作りこむ必要はありません。一回プラントモデルを真面目に作ったら、あとはパラメータを変えるだけで済むようにしておけば良いのです。パラメータを変えるだけで各車種に対応できるような領域であれば、これで十分です。
あるいは、もうプラントモデルすら作らずに、単純にテストパターンの入出力を行うだけのものでも役に立つでしょう。(ただし、ここまで来ると、メジャーメントと一緒です。あえてHILSにする必要が無くなってしまうような気もします。)
また、難しいモデルを走らせるのではなく、単純なモデルを走らせるのであれば、HILS装置自体ももっと安価でシンプルな物にできるはずです。こうして、装置もモデルもシンプルで安価なものにできれば、それで十分に「工数」<「メリット」とする事が出来ます。
ただし、低価格HILSについてはまだまだこれからです。そのため十分にノウハウの蓄積がなされていません。十分に物の分かった人が、きちんと意図的に、安くして良い部分とそうでない部分を区別した上で、低価格HILSを企画する必要があるでしょう。そうでないと、安かれ悪かれになってしまい、「工数」>「メリット」に陥る心配もあります。
低価格HILSに必要な要件については、個人的に思う事があります。HILSの構成などを詳しくご説明したあとで再度触れたいと思います。
次回
今回はプラントモデルにスポットを当ててお話をしました。ですが、あまりモデルの内容につっこんだ話は出来ませんでした。そこで次回は、もうすこしモデルについて掘り下げて行きたいと思います。